「上弦の月を喰べる獅子」は、夢枕獏さん著(早川書房 1989年8月31日初版)の長編小説です。
私たちの世界は「螺旋」、言い換えれば「渦巻き構造」で出来ています。
私たちのからだの細胞の一つひとつにある、私たち生命の根源であるDNAも螺旋構造ですし、私たちの銀河系も、アンドロメダ星雲も渦巻き構造です。
「上弦の月を喰べる獅子は、物語全体が螺旋構造になっていて挿絵もアンモナイト(からだ全体が螺旋)ですし、目次を「螺旋図」と称し、章立ても全て「螺旋」となっています。
物語の多くの部分が「私」という一人称で書かれている。それは「螺旋収集家」として物語の冒頭に登場します。そして現実に生きる彼の葛藤とたまたま見つけた螺旋階段の向こう側にある世界のなかでひたすらに上を目指す私が描かれています。
物語では、その「私」がひたすら上を目指して歩いて行きます。どこまで行っても終点はなく、行く先々に必ずその上があります。それはあたかもこの世界の全てが終わりのない螺旋構造で出来ており、人生に終着点などないと言っているかのようです。
物語の終盤、ある問いが示されます。
「汝は何者であるか?」
そして「縁」とはなにか、「業」とはなにか。
その答えが示されるとき、物語はクライマックスを迎えます。
螺旋収集家が見つけた螺旋階段があったのは二荒ビルという東京都内でも一位か二位を争う高層ビルだったということが最後、示される。それは、そこに螺旋収集家の墜落遺体が発見されたことで明らかにされる。螺旋収集家の名前は三島草平、38歳。
彼がなぜ、そこより高い者がない場所で「墜落」したのか、読者の想像力の働かせどころではないかと思う。
物語の中に何度も仏教的用語や問答が描かれおり、これはいつか紹介させて頂くことになるであろう『ソフィーの世界(ヨースタイン・ゴルデル著)』を彷彿とさせる。
正直、読み飛ばしたところもあるが、ここをきちんと読めば更にこの物語の深みが増すのかも知れない。
私たちの存在を含め、この世界の全ては「螺旋」で出来ている。
そして、螺旋の中を天を目指して登っていくことは、私たちの「生」への根源を問いただす旅でもある。三島草平は、螺旋の行き着いた先「獅子宮」で何を見たのか、何を得たのか。
あとがきで、著者の夢枕獏さんはこう言っています。
「この物語を書くときに、ぼくが決めたのは、〝逃げないこと”であった。
宇宙から逃げないこと。神から逃げないこと。仏から逃げないこと。
空間や時間や光や重力から逃げないこと。
どんなに逃げたくても、まず、逃げないことーーそれをぼくは決めたのだった」
私は思う。逃げたくても逃げられないのだ。
なぜなら、この世界も、私たち自身も、螺旋の中の存在だからだ。
私たちは螺旋から逃げられない。それは私たち自身が螺旋だから。
この本を読んで、みなさんはどう思うだろうか。


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