次に読みたい本がここにある 17 「白雪姫と五枚の絵」

 今回ご紹介するのは、井上真偽さん著の「白雪姫と五枚の絵」です。
 たまたま立ち寄った本屋さんの店頭で平積みされている本の中から選んだ1冊です。

 著者の井上真偽(いのうえ まぎ)さんの著書は初めてです。あとづけによると、神奈川県出身の東京大学卒業。『恋と禁句の述語論理』で第51回メフィスト賞を受賞され、『探偵が早すぎる』は2連続ドラマ化されるなど、同じもの書きとして、羨ましすぎる経歴の持ち主です。

 おそらくはペンネームであろう、井上真偽の「真偽」のお名前から推察されるように「白雪姫と五枚の絵」も、物語が二転三転する推理小説で、読み終えるまで何が真実なのか全く分からないという飽きの来ない展開となっています。

 そして読んでいて思ったのが、物語全体の構成が、ここでも紹介しました重松清さんの「その日のまえに」に似ているなぁと思いました。

 というのは、物語はまず「甘党の白雪姫」「走る三匹の子豚」「赤い靴の誘拐犯」「ヘンデルとグレーテルの家出」という4つの絵を巡るミステリーで展開され、それぞれの章が独立しているように見えるのですが、物語が進につれてそれそれが相互に絡み合っているのが分かります。そして最後の第五章「雪女の遊び」で、雪女の絵とともに全ての絵とそれぞれに込められたミステリーが予想もしない結末へと向かって行きます。

 正直、第五章だけでもかなりの読み応えがありますし、最後の最後に明かされる結末は、さすがペンネームの「真偽」に偽りなし、というところでしょうか。

 五枚の絵は、それぞれ白雪姫、三匹の子豚、赤い靴、ヘンデルとグレーテル、そして雪女という、いずれも童話をモチーフに書かれているのですが、その中にミステリーの謎を解く鍵に繋がる様々なメッセージが込められています。この辺りの展開は、辻村深月さんの「かがみの孤城」に似ていなくもないです。

 物語を読み終えて思うのですが、一つの物事や事象、あるいは一つの絵でもいいです。その見方や捉え方、解釈と言ってもいいですが、もちろんそれは人それぞれの価値観で感じ、判断するのですが、だからこそ、そこには無限の可能性があるということです。

 そして一つの解釈が、それが真なのか偽りなのかを問わず、波動となってそれに関わる人を動かし、更にそれに伴い新たな展開が作られていく。この世界は、こうした一人ひとりの判断の積み重ねのみによって構成されていて、それこそが「歴史」になるのだ、と私は思っています。

 それを念頭に置いて、著者がどんな思惑でこのミステリーを書いていったのかを頭のどこかに置きながら読んでいくと、読み手もまた登場人物の一人になってこの物語に込められたミステリーを読み解いていく楽しみが生まれるかも知れません。

 それから、もう一つ書いておかなければならないことは、この物語は「ぎんなみ商店街」を舞台に描かれているのですが、この商店街の人たちは、お互いのことをとてもよく知っているということです。それは、商店街の子どもたちに対してもそうだし、嫁いできたお嫁さんに対してもそう。

 物語の中で木暮良太こぐれりょうたくんという小さな子どもが行方不明(実際にはそうではないのだけれど)になったとき、それを発見したのは、商店街のスナック キャンディのママ、神山園子かみやまそのこでした。スナックのママが(こういう言い方は良くないのかも知れないけど)ちゃんと商店街の子どものことを知っているのです。
 これ以外にも、沢山の人が登場するのだけれど、誰もがその人のことを知っているのです。

 思えば、昭和の時代、地域の子どもは地域で育てていた氣がします。
 あれば誰それの子で、何年生で、何をやってるとか、皆知っていたし、子どもは子どもで、よく友達の家でご飯を食べたりしていた野を思い出します。それが地域の結びつきそのものだったし、誰かが誰かの子を見ているから、大きな犯罪も起きなかった。

 いまは隣の人ぞなにする人という感じで「無関心」が、地域と地域の歴史や風習、文化を破壊し続けている。この物語を読むと、そんな一見、面倒臭そうな人間関係も地域にとっては宝だし、なくてはならないものだったと言うことに氣付かされるのです。

 その一方で、私が個人的に氣になったのは、ちょっと登場人物が多いかなぁということ。
 焼き鳥屋「串真佐くしまさ」の3姉妹の内山佐々実うちやまささみ都久音つくねももと物語に登場する絵を描いたお母さんの男子4兄弟、木暮元太こぐれげんた福太ふくた学太がくた良太りょうたと他数人、第五章に登場する人物だけでも良かったのかなぁと思ったりします。

 主要登場人物がこの7人であることは、おそらくタイトルにある「白雪姫」に因んでのことだろうと推察するのだけれど、メフィスト賞受賞作家に向かって、私のような若輩者が言うことではないのかも知れません。

 というのは、私も拙著「オブシディアンの指環」に東塔数の人物を登場させているのですが、これはある程度、歴史をモチーフにしているので、その時代時代で登場させないと物語が進んでいかないという側面があるのです。そう考えると井上真偽さんの中では、登場する人物にはすべて「名前」を付けて、物語の中に「生きた人物」として登場させる必要があったんだろうと思います。

 最初は、ちょっと稚拙かなぁと思った謎解きも、第五章の迫力の前には霞みます。

 先にも書きましたが、物事の見方、捉え方はとても大事だなあと思った次第です。
 みなさんは、どんな感想を抱くでしょうか。

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