今回ご紹介するのは、前回の「凜の弦音」の続編になる「凜の弦音ー残心ー」我孫子武丸さん著(光文社)です。
残心というのは、弓道における射法八節の八番目にあたる所作で、矢を放った後の姿勢と精神をそのまま保つ、ある意味、射法八節で最も重要な所作とも言えます。
著者の我孫子さんがこのタイトルを選んだということは、この本で訴えたかったのは「日本人としての精神性」なのかな、と思って読み進めました。
そもそも射法八節とは、①足踏み、②胴造り、③弓構え、④打ち起こし、⑤引き分け、⑥会、⑦離れ、⑧残心(残身)の8つの連続した所作から成り立っていて、もちろんそれぞれが独立した所作ではなく、前の所作=動作を受けて次の動作に自然と移行しながら矢を放つことになります。
スポーツ、特に「道」と付く日本古来の武道、例えば柔道であったり剣道であったり、もちろん弓道もそうですが、いずれも「心・技・体」という概念を大切にしています。そして弓道においては「真・善・美」という独特の概念があります。
偽りのない安定した心を持ち、身体を整える。真善美が整うことで初めて矢が的に中るのであって、はじめから矢を的に中てることを目的としてしまっては、本末転倒になる。そんな考え方だと私は理解しています。そして、この目的と結果の関係は、日本の武道におよそ共通している精神性であり、おそらくそれは自然の中に八百万の神々の姿を見てきた日本人に特有の考え方=精神性ではなかろうかと思うのです。
1作目「凜の弦音」は、主人公の篠崎凜による謎解きが物語の軸を形取っていたように思えますが、本作品は1作目の後半のテーマとなっていた「あなたにとって弓とは何ですか?」という問い掛けの答えを求め続けた物語になっていると思います。
弓に、弓道に関わった者は誰でも、弓への関わり方が強ければ強いほど、弓から離れられなくなってしまう。なぜ、そうなるのか。自分にとって弓とは何なのかという問い掛けが物語全体を支配しているように思います。
女優になるための手段だったと打ち明ける波多野郁美。
本作の冒頭、師と仰ぐ棚橋先生の死に直面して、しかしそれをなかなか受け入れられず、悩み続ける篠崎凜。
郁美と凜に関わりながら自らは映画監督を目指した中田隆司もまた、自らが進むべき道を見失ってしまう。
それぞれが、自らの人生という未来を見据えながら思い悩み、時には深く関わり合いながら互いに「答えのない答え」を探していく。
本の帯に「前を向こう!」という言葉が書かれているが、まさにこの物語の「解」の1つがこの一言に集約されているように思います。
さだまさしさんの楽曲「主人公」に、こんな歌詞があります。
時を遡るチケットがあれば、欲しくなるときがある。
あそこの分かれ道で選び直せるならって。
確かに、誰しもそんな風に思うこと、思ったことがあるだろう。そして歌詞は続きます。
「自分で選んだ以上精一杯生きる」と。
これも、この物語のテーマの「解」の1つではないかと思うのです。
そして物語は帰結します。
誰かの所作=射法八節が自分の所作に繋がっている。
その繋がりとはつまり、人と人との繋がりなのだと。
弓道に関わったことがあるなしに拘わらず、清々しく読める1冊だと思います。
そして本のタイトルにもなっている「残心」
私たちは、日々の生活の中でこの「残心」をもう少し氣に掛けてもいいのかも知れません。
毎日の何気ない一つひとつの行いの「残心」。
礼儀とかマナーとかという言葉とも少し違う。
私たちの所作の後には必ず繋がる何かがある。それは自分自身の所作かも知れないし、私たち自身の所作を受けた他人の行動に繋がっているかも知れない。
「氣」
万物は「氣」で繋がっている。
だから、私たちは決して一人ではない。
一人ではないからこそ、自らの残心には氣を配りたいとこの本を紹介するにあたり、私にとっても改めて自分自身を戒めることになった、そんな1冊です。


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