今回ご紹介するのは「この夏の星を見る」です。
この物語は実在する茨城県立土浦第三高校の天文部をモチーフに書かれた小説で、高校時代に天文部にいた私としては、とても興味深く読ませて頂いた小説です。 私の天文部での活動はこちら
この夏の星を見る(上巻)
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この小説との出会いはLuckyFM茨城放送でした。
ここいわき市でも、南部の方でradikoを使わなくても、ダイレクトで放送が受信できます。
ある日の午後、仕事中、車で移動しているときにラジオから「この夏の星を見る」の映画の話題が流れてきて、実は小説よりも先に映画のPVを見たのが、この小説とのファーストコンタクト。
「この夏の星を見る」は、辻村深月さんの作品で、上下巻の長編小説です。
小説を原作とした映画を見るといつも思うのですが、小説の物語をおよそ2時間の映画の中に纏め上げるのは至難の業です。小説を全部映像化してしまえばいいのですが、それはムリというもの。
映画監督が自らの演出のために何かに焦点を当てれば、何かを削らなければならず、そうなると原作の小説の世界観とは違った物になってしまうのは、仕方のないことです。加えて俳優さんを使うために、文字の上の自分の脳内でイメージしていた登場人物像や声、振る舞いなどが「現実化」してしまい、それが自分のイメージと合致することはなかなか難しい。
なので私は小説とそれを原作とした映画とは別の作品として捉えています。
この作品は、小説も映画もどちらもよく出来ていると思います。
ただ1点だけ。この映画の演出で氣になった箇所があります。
ネタバレになるので多くは語りませんが、映画の最終盤のエピソードにはかなり無理があると思います。思うに監督の山村さんに天体観測についての知識や経験が不足していたために、ああいう演出や描写になってしまったのだと思います。あれは実際にはムリです。
もちろん、小説では映画とは全く違う、現実的な描写がされていますので、そこは流石、辻村さんだと思います。
物語の骨子としては、新型コロナの流行で、日々の部活動や修学旅行、あるいはかけがえのない友人との登下校といった、あたりまえの「日常」を奪われてしまった高校生や中学生の苦悩や葛藤を非常に繊細に描いています。
少子化で現実化しているであろう問題にも鋭く斬り込んでいます。
東京都内の中学校を取り上げているのですが、そこでは新1年生のうち、男子生徒は安藤真宙1名だけ。小学校の同級生のほとんどは私立の中学に進学し、小学校でサッカーをやっていた彼は、中学でもサッカー部に入ることを夢見ていたのですが、サッカー部どころか男子がいない。
未来が見えなくなってしまった彼に、同じクラスの女の子、中井天音が理科部に誘う。そして真宙と天音は、砂浦三高で行っていたスターキャッチコンテストに興味を持っていく。
奪われてしまった「あたりまえの毎日」に真正面から向き合う子どもたち。
それを支える大人たちもまた、日常とは何なのか、あたりまえを奪われてしまった子どもたちに何が出来るのかを自らに問いただしていく。
私たちは何を失い、子どもたちによって何に氣付かされたのか。
この点については、小説でも映画でも、ときに胸に迫る描写で描かれています。
どんなときも、子どもたちは自分の夢や将来に真っ直ぐに向き合っています。
むしろ「現実」から目を背けているのは、私たち大人ではないでしょうか。
そんなことを問うている物語にも思えます。
新型コロナだったんだから仕方がないと、全てを諦めてしまった大人たちにこそ、読んで欲しい1冊です。

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