今回紹介するのは、東野圭吾さん著の「クスノキの番人」です。1月30日からアニメ化された映画が公開されますので、興味を持っていらっしゃる方も多いかと思います。
ここで紹介した「この夏の星を見る」もそうでしたが、小説を原作とした作品を映画化する場合には、小説のイメージを引っ張って映画を見てしまうと「ちょっと違う」ということになりがちです。だから、私は小説は小説、映画は映画と割り切ってみるようにしています。
小説の物語は、いきなり主人公の直井玲斗が「クスノキの番人」として現れます。
しかし、直ぐに玲斗が住居侵入、器物破損、窃盗未遂の罪で警察の留置場にいる場面に切り替わる。この辺りの場面展開は、東野圭吾さんならでは、という感じですね。
留置場にいた玲斗を救い出したのは、柳澤千舟という玲斗の叔母に中る人物でした。そして、この千舟がクスノキの番人の秘密を持っていて、なぜか救い出した玲斗にクスノキの番人を景勝させていくのです。それも強引に。
物語が進んでいくと、なぜクスノキに番人がいるのか、そもそも物語に登場するクスノキには一体どんな意味があり、どんな秘密が隠されているのかが、玲斗によって明らかにされていきます。そして玲斗と千舟の関係も。
こんな話を聞いたことがあるでしょうか。
私たちのからだは約37兆個の細胞で出来ていて、その細胞は部位や期間ごとに絶えず入れ替わっているということを。
例えば、皮膚の細胞は約2週間で入れ替わります。結果の中の赤血球は約120日、肝臓の細胞は半年から1年、 腸の上皮細胞は数日で入れ替わるとされています。最も長い骨も10年程度で新しくなると言われてます。
つまり、還暦を迎えた私の場合、骨は6回ほど完全に入れ替わっていますし、肝臓も長く見ても60回、赤血球は約180回あまり入れ替わっていることになります。
けれど、私が自覚する「私」という人物、人格は生まれたときというか、物心ついたときから一切変わっていません。これは、脳細胞や脳の神経細胞が基本的に一生入れ替わらないことと関係があるのでしょうか。それもあるかも知れませんが、こんな興味深い説があります。
それは私たちのからだと心はそれぞれ別の場所にある、ということです。
からだは、いまここにありますね。では心はどこにあるのかというと、天空にある。そんな説です。
アカシックレコードという言葉を聞いたことがあるでしょうか。
アカシックレコードとは、宇宙全体、あるいは個人の意識に関する膨大な情報を保存している、普遍的な記録庫として解釈され、現在過去未来にわたるこの宇宙の全ての記憶が蓄積されたエネルギー層とされ、霊的な存在や高次の意識状態にある人々がアクセスできるとされています。
私的な解釈は、この地球の遙か上空、地球と宇宙の境目にアカシックレコードはあって、もちろん目に見えるものではなく、別の次元もしくは平行世界に存在している。そんな感じです。
そして、いまこの次元での地球に生きる私たちのこのからだ、特に脳がこのアカシックレコードと繋がっていて、私たちの本体、つまり自我意識はこのアカシックレコード、もしくはそれに近い存在にあるのではないかという説です。



わたしたちは生まれるときに、そのほとんどが母親を選んで生まれてくるという説があります。
子どもの胎内記憶を研究している人がいて、その人の本もご紹介していきたいと思っていますが、それによると私たちの本体、魂は雲の上や月、近年では宇宙の別の星にあって、そこから地球の母親目指して虹のすべり台を降りてくるというのです。
私は還暦を迎えましたが、私が感じる私自身は子どもの頃から変わっていません。
私はずっと私であり、でもからだの細胞は私が自分を意識しだした子どもの頃とは全く別の物になっているのです。からだという物体は別モノなのに、意識や記憶はずっと繋がっている。
「クスノキの番人」という物語は、この疑問に少なからず答えを出してくれている氣がします。
物語の中で、人々はクスノキに「祈念」をするためにやって来ます。それも必ず夜に。その夜も毎日ではありません。ある一定の規則性があることに玲斗は氣付きます。
その規則性も、心とからだが別モノという意識を持って読むと、実に興味深いのです。
「クスノキの番人」には「クスノキの女神」という続編があります。
明らかにされたクスノキの秘密を駆使して、玲斗は千舟を、そして新たな登場人物たちを解放していきます。是非とも合わせて読みたい物語ですね。
映画「クスノキの番人」の主題歌「傍らにて月夜」を歌っているのは、映画「雪風」の主題歌「手紙」を歌ったUruさんです。どんな映画になっているのか、興味は半々ですが、見に行ってみようかな。


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