次に読みたい本がここにある 12 「コンビニ人間」

 今回ご紹介するのは、村田沙耶香さん著の「コンビニ人間」(文集文)です。
 この作品は、2016年の第155回芥川賞を受賞している作品なので、ご存知の方も多いと思います。そして前回の「ひらいて」に続いて私が「写経」した本の一つでもあります。

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 物語は「「コンビニエンスストアは、音で満ちている。客が入ってくるチャイムの音に」と、コンビニに鳴り響く「音」に焦点を当てた描写から始まります。
 この描写を読んで、真っ先に私の頭の中に鳴り響いたのは、ファミリーマートのあの音。

 ファミマの音が鳴ったのは、我が家から一番近いコンビニがファミマだったからでしょうか。

 物語の中で描かれているコンビニの中に満ちている音はこれだけではありません。
 有線放送の音、店員のかけ声、カゴに物を入れる音、店内を歩き回るヒールの音、ペットボトル売り場からお客がペットボトルを取り出した時に鳴るローラーの音まで描かれていて、それは物語の読み手である私たちの脳裏に容易に再現できる音なのです。

 つまり、物語の冒頭かラ私たちは否応なく、物語の世界の中に引きずり込まれていきます。

 そして音の次は、お客と店員、特にレジでのやり取りが事細かく描かれていて、あたかも自分人士いまコンビニのレジの前にいるような錯覚にさえ陥ります。ただ支払をSuicaで行っているところには、時代を感じてしまいますが。

 コンビニ人間の主人公、古倉恵子は一風変わった人物として描かれている。
 30歳代半ばにも拘わらず、結婚もせず、就職もせず、コンビニでのバイトを続けて生計を立てている。そして、作者は私たちに問う。

 「それの何がいけないの? 普通って、なに?」

 恵子の子どもの頃のエピソードが語られます。
 幼稚園の時、公園で死んだ青い鳥を見つけた恵子は、母親が「かわいそうだね。おはかをつくってあげようか」と言うのに対して「お父さん、焼き鳥好きだから、今日、これを焼いて食べよう」と言い放つ。

 動揺して「小鳥さんが、死んじゃって悲しいね。かわいそうでしょう」と、恵子の説得を試みる母親に「なんで? せっかく死んでるのに」と恵子は納得しない。

 恵子は思う。お父さんとお母さんは焼き鳥が好き、私と妹は唐揚げが好き。周りを見渡せば、すずめがいっぱいいる。
「たくさんとってかえればいいのに」と、恵子は素直に思う。なぜ、食べないで埋めようとするのか理解できないのです。そして、ここでも私たちは問われているのです。

 「普通って、なに?」と。

 そして序盤、これだけでも衝撃的な書き出しなのに、私が衝撃を受けたのは次の描写です。

 母親が「あっちでお墓を作って、皆でお花をお供えして上げようね」と言い、その辺りの花を引きちぎって殺している。

 死んだ小鳥のために、生きている花を殺して供える。

 この行為を恵子は「頭がおかしいのではないか」と、見ているのです。

 「コンビニ人間」は、冒頭からずっと、とあるコンビニエンスストアを舞台に、「普通とは何か」という、私たちが思わず「はっと」させられる命題に真正面から向き合い続けます。

 私たちは日々「常識」という世間が長い時間を掛けて熟成してきた、社会を生きていく上での無言の決まり事に縛られながら生きています。でもその常識も所変われば、自分の常識とは全く違う常識が存在しています。

 自分たちの常識や普通とは違う価値観を持って生きる恵子に対して、それは病気なんだから早く治そう、治してあげようとする妹に、読み進めるうちに違和感を感じてくるのは、おそらく私だけではないでしょう。
 なりゆきで結婚した恵子に対して、義理の妹が子どもについて言い放つ。

 「バイトと無職で、子ども作ってどうするんですか。ほんとにやめてください。あんたらみたいな遺伝子残さないでください」と。

 物語を読み進める中で、この言葉に直面して、みなさんはどう思われるでしょう。

 たしかに最初は恵子の言動に違和感を感じてしまうことは否定しません。
 私も恵子の小鳥を焼いて食べようと、花を引きちぎって殺しているという描写には度肝を抜かれましたが、冷静に考えれば、何がおかしいのか分からなくなります。少なくとも恵子の思考は間違っていないのです。

 普通とは何か。

 私たちが日々、あたりまえだと思っていることの中にこそ、根源的な疑問や問題が潜んでいることをこの物語は示唆しています。

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